遊女を描いた作品「さくらん」を見た感想

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前から見たいと思っていた映画。

 

時間もようやくでき、Netflixで見ることに。

 

この映画は遊女に焦点を当てた作品だ。

 

遊女とは、いわば娼婦や売春婦の古い呼び方。

 

今は風俗嬢と言ったほうがピンとくるだろうか。

 

だから、今でいう風俗、そして風俗の中でも、

ソープランドのお話だ。

(正確にはトルコ風呂と呼ばれていたのだが、詳細は遠慮しておこう)

 

そして、表舞台が男主観の世界であるとするならば、この映画は完全に裏の舞台を書いた作品だ。

 

遊郭で働く女性視点での、お話だ。

 

 

東京台東区に吉原と呼ばれる街がある。

ここはかつて江戸時代遊郭と呼ばれていた区画のことで、漢が遊女を物色し気に入った遊女と遊ぶ所だった。

 

今でも吉原にはソープランドが数多く立ち並び、それぞれの店にはスーツを着たボーイさん達が客引きをしている。

 

初めて吉原に行った時、すごく衝撃的だったとを覚えている。なんだこの街はと。

そして同時に、この街の歴史を無性に知りたくなった。

何故こんな街ができたのか。どういう歴史を紡いだきたのか。

気になって仕方がなかった。

 

まさにこの映画は、昔の吉原を描いた作品。

だからこそ、見入ってしまった。

 

1人の幼い少女きよはが、8歳から玉菊屋(吉原にあるお店)へと入ることになった。

そのきよはが、花魁へ成り上がっていくまでの物語だ。

 

この玉菊屋とはいわゆるお店のことであるが、昔は20年経たないと外には出られず、それまでの間ただひたすら芸を磨き、男の相手をする必要があった。

 

出られないという意味では、遊郭は牢獄のような環境。ひたすら娼婦として働くということだ。

 

花魁になれなからばお茶をひいていたり、より過酷な環境で働かされたりするようだ。

 

とはいえ、遊女といっても、ただ単に今で言う娼婦のようなことだけをしているわけじゃない。

 

お客を喜ばせることが根底にあるため、三味線や稽古ごとなど、多くのことを学ぶ必要がある。

 

 

前提として、俺は風俗に偏見は持っていない。

この映画をニヤニヤと見ていたわけじゃない。

 

俺は風俗嬢を心から尊敬している。

 

馬鹿にしている友達もいるが、俺はそうは思わない。

 

 

まぁ実際に行って合わなかったというのならまだマシだが、もっと酷いのが行ったことがないのに「風俗なんて」と馬鹿にしている奴。そういう奴とは友達関係を切ったほうがいい。

 

何事も経験しないと始まらない。文句を言うのだったらやってみてから言わねばなりんす。

 

話を戻して映画の感想を記そう。

 

映画を見て思った。

 

「昔の遊郭に行ってみたい」

 

映画であるが故に、実際はここまで華やかでないとしても華やかに描写しているのかも知れないが、

 

そうであったとしても確実にいってみたい世界だ。

 

大阪の飛田新地ももちろん華やかであったが、やはり俺は昔の吉原へ行きたいと思った。

 

1人の男として、数多くの男の人に紛れながらも、確実にあった過去の現実を見てみたい。

 

やっぱり花魁というのは華やかで、綺麗なんだろうな。

遊郭において花魁というのは人気ナンバーワン嬢ということだ。

その姿に憧れた女性たちが、「私もいつか花魁を」と、日々男の欲望を受け止め、奮闘しているのだ。

 

結局は女同士の戦いであり、その歴史は今も残っているように思う。

 

 

昔俺が一つ風俗嬢から教わったことがあって、それは

 

人の欲を相手にしていると自分を客観的に見るようになる

 

ということ。

 

毎日毎日男の欲望を受け止めていれば、自分がどう振る舞うべきか、どうあるべきかが分かってくるという。

 

映画を見て、まさにそうだと思った。

 

言うセリフがどこか客観的なんだが、でも、まとを得ている。

 

一つ言えるのは遊女たちは色々な経験を積んでいるということ。これは今も昔も変わらない。

別に人数の話をしているわけではない。多くを経験(良いことも悪いことも)し、辛い思いをして今があるんだということを再確認した。

 

改めてすごい仕事だよなと思う。

 

今でも納得するような言葉ばかりがたくさん出てきて、ちと身震いがしたでありんす。

(このありんすというのは遊女たちが、自分がより上品に見られるように使っていた廓詞である)

 

椎名林檎はじめてちゃんと聞いたけど、画と合わせると音楽がすごく響いていい。特にこの映画のように精細な色使いをしている映画では、特に合う。

 

 

 

土屋アンナが演じたきよはのような性格は、意外と男ウケはよいのかもしれない。

 

ただ、今の風俗は食事をする時間はない。遊郭の時代は一緒に酒を飲み、それからというのが常だった。

 

今はもう出会ってすぐガッチャンコだ。

 

でも、それで良いのかも知れない。向こうからしたら気持ち悪いただの客と酒なんか飲むかと思っているかも知れない。いや、確実にそうだろう。

 

食事をするならその分余計に枠を取らないとだ。

それはお金もちにしかできない。

 

 

いやー、ちょっと先輩つれて吉原行ってこようかな。

 

知れば知るほど、さらにもっと知りたくなるこの遊郭、吉原の歴史。

 

そして性の欲望というのは、単純なようでものすごーく奥深い世界だと思う。

 

タイムスリップできるのなら、俺は間違いなくこの遊郭の時代を見に行くだろう。

 

吉原、赤線、青線、、

 

この映画を通して、遊女の光も闇も、見えた気がした。