遅刻で思い出すちょっと悲しい経験

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明日は出社だ。

 

朝6時に起床。果たして起きられるだろうか。

 

社会人になったら遅刻は絶対にいけない。一気に信頼を失うと口酸っぱく言われてきた。

 

だから毎日寝る前不安になる。遅刻したらどうしようと。

 

楽しい楽しい寝る時間なのに、なぜ明日の心配をしなければならないのか。睡眠に失礼だ。

 

 

そんなこんなで時間を守ることや遅刻が頭にちらついている毎日だが、遅刻と言われるといつも思い出してしまうことがある。

 

 

中学1年生の時の話だ。

3時間目が終わったあと、4時間目は別教室で授業が予定されていたので、教室を移動する必要があった。

 

授業の合間の10分間で俺は教務室に寄ってプリントを届けたり、トイレに行ったりして、結果的に

授業開始時刻約3分前に移動先の教室に着いた。

 

そうしたら先生に怒鳴られた。

 

なぜか。

 

「もうみんな揃って授業が始められる体制なのに、お前が遅刻したせいで授業が始められない」

 

当時俺は怒鳴られた瞬間に、「やべ遅れた」と思い込んでいた。だってみんなが席に座っていて、かつ先生に怒られているこの状況を鑑みれば、自分が良くないことをしたと考えるのが当然の流れだった。

 

だから「すいません」と言って席に座ったことを覚えている。

 

 

でも冷静になって考えてみると、おかしい。

 

俺は時間を守ってない訳じゃない。むしろちゃんと守ってる方じゃないか。3分前に来てるんだもん。

 

間違えてないことを間違えてると捉えられている。

そのことに気づいちゃってからは授業なんて身に入らない。

なんだあの先生。頭がおかしいじゃないか!

 

 

横からチャチャを入れてくる友達の目にハンダをブッ刺したくなるくらい終始イライラしていた。

 

 

 

一体なんでこんなことになったのか。

 

時間というブレない一本軸があるのに、先生はそこを見ずに座っている大人数の生徒を見て判断してしまったからだろう。

 

いやいや時計を見ろ。

 

相対的に見られたらそれは俺が遅刻したように見えてるかもしれないが、みるべきところはそこじゃない。

 

 

サイレントマジョリティーに飲まれたんだなあの先生は。先生の頭がギンギンに固くなっていたのだけはわかる。実際歳とってたしな。

 

 

あとはまぁ、チャイムがあればなぁ。うちの中学校にはチャイムがなかったから、先生たちの中でも時間にルーズになっていた部分があったのかもしれない。

 

揃ってるなら授業やっちゃおうかと言えるルーズさ。それが今回は良くない形で出てしまったんじゃないか。

 

時間を守ること=遅れないというのはもっともな意見だが、

 

予定時刻より早めに始まるというのも、これ時間を守ってないよね?

 

何勝手に早めちゃってるの?時間を守ってないよね?と、言っていいんだと思う。

 

遅刻だけが時間を守れてない訳じゃないんだよ。

遅刻の対義語が出てこねぇけど、早く始めることも時間を守れてないってことよ。

 

 

なんていう風に、あの経験があったあと、すごく考えた。

 

けど今思い出すと、ちょっぴり悔しい感情になる。

なんであのとき何も言えなかったんだろう。

 

もし今考えてることをそのまま言えてたらどうなってたんだろうと。

 

でもそんなことばっかり考えていたら、13歳の自分がかわいそうだ。

 

「そりゃぁ言えないよねぇ」

なんて自分を慰める。自慰行為だ。

 

 

でも、何も言えなかったからこそ、今こうしてちゃんと考えが確立できているのかもしれない。

 

あの理不尽な経験があったから、今の自分があると思うしかないよね。

 

実際理不尽を経験したことによって身を正すことってあると思うし、それによって「いや、自分はこう考える」と頭を働かせることが大事なんだと思う。

 

だから、過去の自分は発言ができなかっただけ。考えることはできていた。それは、昔の自分に「すごいな」と言えること。

 

だから前向きに考えるなら、あの経験があってよかったんだと思う。いや、そう思うべきである。

 

そう思えるならば、

「悔しいけど、まぁよかったんじゃない?」って自分を慰められる。

 

 

遅刻とは少しずれている話だけど、遅刻と言われるとつられて思い出してしまう経験。

 

今日夢にあの先生出てきたら当時言えなかったことを言ってやろう。